ジャーナリストの下村健一さんが、障害者の職場を訪問し、インタビュー。
働く障害者と、雇用する担当者、実際の現場の様子を取材しました。

着物のメンテナンスや一貫加工、リサイクルきものの販売などを行っている「株式会社 きものブレイン」(本社・新潟県十日町市)。知的障害、聴覚障害、内部障害、身体障害などさまざまな障害をもつ人たちが働き、現在では社員230名のうち23名が障害者だ。知的障害者9人、聴覚障害者4人、内部障害者3人、身体障害者7人、うち15人は重度の障害者。現在の障害者雇用率16.1%。
社内には障害者支援委員会を設け、ジョブコーチの資格を取った社員もいる。

障害者を雇用して20年、これほど高い雇用率を実現できている秘訣はどこにあるのか。岡元眞弓副社長にお話を伺った。
きものブレインはオープンファクトリーであるため見学可能。仔細は以下を参照。
http://www.kimono-brain.com/

雇用担当者 インタビュー記事

お話を伺った方
岡元眞弓(おかもと・まゆみ)さん
株式会社 きものブレイン 取締役副社長 障害者雇用担当
同社社長で夫の岡元松男さんとともに、障害者雇用を推し進めた人物。ひとりひとりの障害者に適した仕事を見い出し、継続雇用を実現。従業員(25名)による「障害者支援委員会」を設立。目的は「障害者が安心して働ける職場環境を作り能力の向上を図る」。この委員会の協力を得て、日々、起こる問題を解決している。

「普通の生活がしたい」の言葉を聞いて雇用を決意

平成元年、従業員のひとりが重度の内部障害であったことが判明したのを機に、きものブレインは障害者の雇用に取り組む。そして翌平成2年に雇用したのが、大谷泰久・光子さん夫妻だった。

下村 大谷さん夫妻を雇用された経緯から教えてください。

岡元 私の姪がダウン症だったので、私自身、障害に対する関心はずっと持っていたんです。大谷泰久さんは前に会社があった場所の近くに住んでいて、きちんと挨拶をしてくれる好青年でした。その彼が障害を持つ女性と結婚したことが地元新聞の小さなコラム欄に載り、「働くところがないのがくやしい」という話が書かれていたんです。おいしいものを食べたり、どこかに遊びに行ったりという、普通の生活をするために夫婦で「働きたい」と。それを知って、うちで働かないかと声をかけたのが雇用のきっかけでした。最初に泰久さん、1カ月後に光子さんが入社しました。

下村 最初は受け入れ体制を整えるのが大変だったのでは。

岡元 どんな仕事をしてもらえばいいのか、最初はわかりませんでした。泰久さんは脳性マヒによる重度の身体障害で、精緻な作業はできませんし。当時、たまたま生産を始めたばかりの着物用保管シートの仕事で人手が必要だったので、その補助からスタートしました。以後すっかり定着できて、今や泰久さんはすでに定年退職し、現在は再雇用をして働いてもらっています。知的障害の光子さんは、熱圧着機で着物用保管シートの封をする仕事から始めました

柳 常夫(やなぎ つねお)39歳。
知的障害、
仕事内容:反物の巻き取り、H12年入社。

金沢 晴夫(かなざわ はるお)45歳。
内部障害(腎臓機能障害1級)、
仕事内容:紋加工、H7年入社。

障害者の能力を高めて戦力化するだから仕事は固定化しない

きものブレインは平成5年に重度障害者多数雇用事業所の認定を受け、一挙に10人の障害者を採用。翌平成6年には長年の障害者雇用により労働大臣賞を受賞した。その後も障害者雇用の維持・拡大により、日本障害者雇用促進協会の職場改善コンテスト奨励賞など、さまざまな賞を受けている。

下村 障害のある方の人数が増えると、そのひとりひとりに適した仕事を見つけるのも難しくなりませんか?

岡元 それは難しいですよ。ですから、仕事をつくってきたんです。

下村 仕事をつくる?

岡元 例えば着物を包む「たとう紙」の紐つけ作業です。たとう紙は四国が産地ですが、以前は1カ月で手元に届いていたのに、ある時期から「6カ月前に発注してほしい」と求められるようになってしまった。そこで、半製品の状態で早めに納品してもらい、こちらで完成させる最終工程を、障害者の方の新たな仕事にし、大きな成果を得ました。
紐つけ作業を卒業できた人には、次のステージとして反物の巻き取りなど難易度の高い仕事を用意してあります。自閉傾向のある知的障害者の方はすごく正確にこの仕事をしてくれます。

下村 他にもいろいろな部門で障害のある方が働いていますが、そうした仕事はどうやって見つけ出すんですか?

岡元 私が社内を歩いて情報を集め、こんな仕事をやらせてみてはどうかと、各部門長と現場で相談するんです。修正デザインの職場では、幹部になっている人もいます。  ですから仕事はわざと固定化していません。ある意味では、いろいろな事例を経験させることで能力が低いと思われている人の能力を高め、戦力化するわけです。

下村 あくまでも会社の戦力として見ているわけですね。

岡元 はい。職業訓練ではなく、もう職業ですから。不良品を出せばしかるし、生産性も問います。ですから、ここは成果を出すところだと教え、自身で自分に合った目標を設定させています。


樋口 智子(ひぐち ともこ)46歳。
聴覚障害、
仕事内容:縫製メンテナンス、H8年入社

西野 春江(にしの はるえ)62歳。
身体障害(下肢不自由2級)、
仕事内容:縫製メンテナンス、H16年入社。

雇用を守る責任と使命感が会社を成長させた

下村 現実的に、障害のある方の雇用は業績面でプラスになっていますか?

岡元 その仕事単体で利益計算をすれば、正直、厳しいものがあります。ただ、それ自体は利益が出なくても、自社の仕事として大切なものもある。先程のたとう紙の仕事も、お客さまに届ける着物を包むたとう紙を自社でつくるのはとても重要なこと。それこそ髪の毛1本混ざっただけで大変なクレームがきますから。それに企業には、利益を生む仕事と、一方では社会に還元する仕事のふたつが必要だと思います。

下村 障害者雇用には、数字には表れないプラス面があるということですね。

岡元 それはすごく大きいです。平成5年に重度障害者多数雇用の認定工場として本社工場を設立した時、わが社は社員50人。そこに障害のある人たちを入れて60人でのスタートでした。社長も私も「彼らを路頭に迷わせることはできない」と、すごく経営を勉強しました。厚生労働省から助成金をいただくなど、責任と使命感もある。そのためにいろいろな発想で仕事をつくり、いろいろなメニューを開発してきました。だからこそ、会社も成長できたのだと思います。当時の60人から今は230人ですから。

「チャンスは平等に、評価は公平に」が、きものブレインのモットー。しかし、雇用には社会保険や退職金、賞与、有給休暇、福利厚生など目に見えない負担があり、それが一般の企業で障害者雇用が進まない原因にもなっている。そこで同社では一部の人は労働基準監督署に「最低賃金減額の特例許可申請」を認めてもらい、長続きする雇用システムを築いてきた。


村山 功一(むらやま こういち)33歳。
身体障害(上肢不自由2級)、
仕事内容:修正デザイン、H8年入社。

佐藤 俊夫(さとう としお)41歳。
聴覚障害、
仕事内容:修正デザイン、H10年入社。

採用のミスマッチをなくす独自の「紹介シート」

きものブレインには、社内活動として「障害者支援委員会」が設けられている。目的は障害者の人たちが安心して働ける職場環境を作り、能力の向上を図ること。委員会には知的・精神支援、聴覚支援、車椅子支援、身体支援、内部支援の5つのチームがある。

岡元 障害者支援委員会は、いわば職場のなかに網の目のように張ってある「支援のネットワーク」のようなものです。うちは「少人数の専門家より大人数の素人のサポートのほうがいい」という考え方ですから。

下村 委員会のメンバーの人数は?

岡元 5チーム合わせて25人ほどです。任期1年で半分以上入れ替わりますから、10年たつと180人位が経験者になる。ほとんどの社員が障害のある人に必ず関わるということです。

下村 新入社員にはどんな教育をされていますか?

岡元 まず社員を採用する時に、必ずこう言っているんです。「うちは障害者を雇用している会社です」って。障害者支援についての会議を実施したり、ビデオでも見せるなど、いろいろな形で教育を行っています。ですから防災訓練のときでも、わが社は非常にスムーズですし、避難が早いですよ(笑い)。

下村 障害者も含めて、社員が一丸になっている。

岡元 はい。同じ会社の社員として、方針発表会などもすべて共有していますし、懇親会や旅行なども一緒に体験させています。社内を見渡すと、みんなが思いやりや感謝の気持ちを持てるようになっている。健常者の社員の学習の場にもなっていると思います。

下村 支援が自然に、スムーズになっているんですね。

岡元 はい。逆に、支援される側の人たちに「手伝ってほしい」とか「できない」と、きちんと言ってもらえるようにすることが大切です。車椅子の人などは、どうしても我慢してしまいがちなので。

下村 「助けて」と言えるようにする人間関係を普段から作っておくことだと。

岡元 そこなんです。ただ一方で、「困っていないのに助けるな」とも言っています。それは余計なおせっかいだから。本人が本当に困ったとき、外から見てもわからないようなことも含めて、本当に困ったときに手助けしてあげなさい、と。

下村 経営者としては、障害のある人にもない人にも同じ姿勢で接する。

岡元 はい。それが会社をよりよくし、また、障害のある方に長く働いてもらう方法だと思います。

障害者、一般の社員、経営者、この3者をつなぐ架け橋役を務めているのが、企業内ジョブコーチの中澤浩子さん(後出)。岡元副社長とともに、障害者の能力向上と継続雇用に取り組んでいる。


庭野 幹男(にわの みきお)29歳。
知的障害、
仕事内容:たとう紙製造・修正補助、H14年入社。

小泉 和也(こいずみ かずや)25歳。
知的障害、
仕事内容:たとう紙製造・検針、H21年入社

本人にじっくり話を聞き向き合うことが大切

下村 岡元さんご自身が一番気をつけていることは何ですか?

岡元 知的障害の人は自分で伝える力が弱いので、何か変調があった時には本人からじっくり話を聞くようにしています。実は以前、うつのようになっている人がいたので、おかあさんを呼んだうえで本人に話を聞きました。すると、実は精神状態が不安定で会社を辞めた後輩がいて、その人のことが気になっているというんです。後輩が辞めた事情を説明すると、初めて「わかった」って。心を開いてもらうには、向き合わないとダメですね。

下村 コミュニケーションが何より大切だと。

岡元 そう思います。何か変わったことがあると、私だけではなく企業内ジョブコーチの中澤さん、そばにいる職場の人や支援委員会の委員長も呼んで、情報を共有します。これは障害者に限らず、すべての社員が働きやすい職場環境を作るには、絶対に必要だと思うのです。


村山 信夫(むらやま のぶお)31歳。
身体障害(上下肢不自由1級)、
仕事内容:データ入力、H17年入社。

企業内ジョブコーチ・中澤浩子さんに聞く

中澤浩子さんは、きものブレインの企業内ジョブコーチ。ジョブコーチとは、障害者が一般の職場で働けるように、障害者と企業の双方を支援する就労支援の専門職のこと。平成14年度に厚生労働省が開始した「職場適応援助者(ジョブコーチ)」事業では、①障害者職業センターに所属するジョブコーチ、②民間社会福祉法人などに所属するジョブコーチ(第1号職場適応援助者)、③障害者を雇用する企業に所属するジョブコーチ(第2号職場適応援助者)の3種類がある。平成17年10月に助成金制度が創設され、②と③が助成金制度になった。社内における、ジョブコーチとしての取り組みを聞いた。

下村 中澤さんはジョブコーチの資格を取得してから、きものブレインに入社されたのですか?

中澤 いいえ。この会社に入ってから、街のなかに障害を持つ方がこんなにもたくさんいるということが、初めて見えるようになったんです。それで会社からジョブコーチの資格を取ってみないかと言われた時に、自分でもぜひやってみたいと志願して、受けさせていただきました。

下村 資格を取得する前と後では、どんな違いがありますか?

中澤 今までの委員会活動にプラスして、委員会の人たちへの指導も行えるようになりました。内情を知っているので、外からきた専門家よりもやりやすいと思います。私だけでなく、みんなで勉強しながらやっているので、楽しいですよ、とても。

下村 困ったこととしては、具体的にどんなことがありましたか?

中澤 例えば、ベテランの障害者の社員で、後から入ってきた人を見下すような話し方をするようになる人がいました。

下村 どう対処されたんですか?

中澤 もともと当社は挨拶の徹底が重視されているので、ひとつのきっかけづくりとして、朝の挨拶運動から始めました。笑顔で挨拶することによってコミュニケーションが生まれたり、普段、会話をしていなくても心が通うものがありますから。実際に運動を始めてから少しずつ改善されました。

下村 そうした取り組みは誰でもできるものですか?

中澤 できると思います。本気になって、相手の目を見て、その人の気持ちになってやってあげること。障害者の人は本当に正直で純粋ですから。私自身、ジョブコーチの活動を通じて、多くのことを今も学んでいます。

下村健一の編集後記

前回(Vol.2)のクロストークで君成田さんが語った「終(つい)の職場」という理想を現実にするには、雇用側は何をすればよいのか? それが、今回の取材の主眼でした。見えてきたのは、「仕事をつくる」という、至極当然の答えでした。

「仕事」とは、「付加価値を生み出す」ことです。障害者の雇用にあたっても、このATARIMAEの原則を適用し、「この人の適性なら、どんな作業で付加価値を生み出せるだろう」と考案すること。それが、雇用者たる岡元さん夫妻のしている事でした。

例えば、たとう紙を仕上げる大谷光子さんの「仕事」。私が横からあれこれ尋ね、撮影のカメラが間近に迫る状況の中でも、大谷さんはリボンに付いたわずかな汚れや、間に挟まった髪の毛1本見落とすことなく、確実に取り除いていきました。邪念に左右されず、繰り返しにも飽きず、黙々と作業する彼女のキャラクターは、同い年だけど私などは絶対にかなわない、と断言できます。これが、《適性》の発見。

そして、インタビューで岡元さんが説明しているように、この仕事が開発されたことによって「きものブレイン」は、たとう紙を四国の産地に発注してから半年も待たされるという不都合から解放され、受け取りを大幅に早められるという成果を得ました。これが、《付加価値》の創出です。

Vol.2で山中医師が指摘した「《あなたが必要》を言葉で伝える大切さ」には、前提としてまず、そもそも「《あなたが必要》であること」が肝心です。それが確立された結果、「きものブレイン」では、障害者はより深い《真の働き甲斐》を見出し、雇用者もまた《障害者雇用の持続可能性》を獲得していました。

しかし、一口に「仕事をつくる」と言ったって、そんなに1人1人に適した作業なんて、どうすれば思いつけるんだ?…と、そこで立往生してしまう雇用者も少なくないでしょう。岡元さん夫妻とて、雇用サイドだけの孤軍奮闘では、ここまでうまくは進まなかったと思います。

ポイントは、社内に設けた「障害者支援委員会」を交代制にして、ほとんどの社員をこの委員経験者にしたこと! これにより、いわば会社全体を障害者雇用の当事者にして、働きやすい職場作りを進めていったわけです。同社でも、初期には「なんで我々が障害者の面倒を見なきゃならないんだ」「ボランティアを募集すればいいじゃないか」といった声が、一般社員から漏れていたそうですが、今やそんな空気はまるで感じられません。《少人数のプロよりも、大勢の素人で》この課題に取り組もうという姿勢が、見事に奏功したようです。

そんな空気を端的に示すエピソードが、取材中にもありました。動画の中に短時間登場する、勤続17年の男性。あのシーンで彼と私との会話を手話で橋渡ししてくれているのは、用意された通訳者ではなく、たまたまそこにいた彼の部下の女性社員です。彼女は、その上司を心から尊敬している様子でした。「17年も勤めているから尊敬されている」のではなく、「尊敬されるから17年も続いている」のかも知れない……継続雇用実現の秘訣を、そこに垣間見た気がしました。

岡元副社長のインタビューには、社員の障害者に対して「叱る」「教える」「○○させる」といった言葉遣いがしばしば登場します。“障害者と健常者は対等なんだ”という意識が不自然に強すぎる人は、こういう場面で過度に言葉を選んだりしますから、岡元さんの言い回しを聞くとギョッとして、「この人は、障害者を見下しているのではないか」と勘違いするかもしれません。でも、本当に対等だという見方が身体に染み込んでいるからこそ、岡元さんは雇用した障害者の人達に対し腫れ物に触るような扱いをず、ATARIMAEの《ボスと部下》の間柄の言葉遣いをしているんですね。

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