ジャーナリストの下村健一さんが、障害者の職場を訪問し、インタビュー。
働く障害者と、雇用する担当者、実際の現場の様子を取材しました。

 

雇用担当者 インタビュー記事

お話を伺った方
国分忠博(こくぶ・ただひろ)さん
健康福祉局障害福祉部 障害企画課就労支援係長
林田さんの直属の上司。
横浜市役所が平成15年度から始めた知的障害者の体験実習から現在に至るまでの経緯を知る人物。

下村 知的障害者の方を雇用することになった、最初のきっかけは何だったのですか?

国分 平成9年に障害者の促進等に関する法律が改正され、知的障害者雇用が義務づけられました。
しかし横浜市役所では、身体障害者の雇用は行なっていたものの、知的障害者の雇用はありませんでした。
そのため「知的障害のある方の雇用も進めていくべきだ」という声が庁内から自然にわき起こってきたんです。
平成11、12年度頃から庁内の一部で検討を進め始め、平成14年度に「職員提案制度」(アントレプレナーシップ事業)として検討チームが事業提案を行い、平成15年度から実際に事業がスタートしました。

下村 身体障害者に比べて、知的障害者の雇用が遅れていた理由は?

国分 民間企業をみても、主な雇用先は製造業や清掃業など。
いわば単純作業的な業務で、事務職での採用は難しかった。
それが行政機関のなかで知的障害者雇用がなかなか進まない理由になっていました。

平成21年度の横浜市役所における障害者の雇用状況は、実数で523人、実雇用率は2.56%。そのほとんどが身体障害者で、知的障害者の雇用はわずかなのが現状だ。
とくに事務職において知的障害者を雇用するのは、市にとっても大きなチャレンジだった。

習生の受け入れは極めて大切なプロセス

下村 平成15年にスタートしてから平成19年10月の採用まで、ずいぶん期間があります。
それだけ受け入れ準備が大変だったということですか?

国分 一番最初の取り組みとして、まず実習生の受け入れから始めました。
平成15年度から、多い年では10人、少ない年でも5、6人。
どのような仕事が知的障害のある方に合っているのか、どんな仕事をやってもらえばいいのかなど、手さぐりの状態でスタートしました。

下村 受け入れ先は?

国分 動物園、保育園、図書館、我々のような事務の職場など、いろいろな場所で受け入れました。
この間の試行錯誤を通じて、どんな仕事から入ってもらえば無理なく雇用ができるかが次第にわかってきた。
これが平成19年度からの雇用につながりました。

下村 受け入れる職場の側も、そこで実習していたということですね。

国分 ええ、おっしゃる通りです。

下村 実習の受け入れは、雇用前には必要なプロセスだとお考えですか?

国分 そう思います。知的障害のある方にどんな仕事をやってもらうかは、民間企業にとっても大きな悩みだと聞いています。
それを解消するために、実習の受け入れは非常に大切なプロセス。これは実際に行なってみての実感です。

的障害者を過小評価していた

下村 実際に実習が始まった時、受け入れ先の職場の人たちの間に戸惑いはありませんでしたか?

国分 前向きに受入れていただきました。
事前に広く全庁的に呼びかけて研修会を行ない、知的障害に対する理解を深めてもらうとともに、受け入れるに当たっての心構えを持ってもらうようにしましたから。
庁内の壁を取り払って、受け入れ先を広げていく際には大変なこともありましたが、実際に受け入れた部署からは、「予想以上にやってもらえる」という声のほうが多かったですね。

下村 実習を通して、「難しい」ではなく「できるじゃないか」という方向になっていったわけですね。

国分 はい。その意味では、それまでは知的障害のある方をとても過小評価していたのかな、と思います。

 

拶と仕事に向かう姿勢は周囲のお手本に

横浜市役所は平成19年8月に知的障害者の非常勤嘱託員の募集を開始。
第一次、第二次選考を経て、33名の受験者のなかから林田さんが採用された。
勤務時間は1日7.5時間で週4日、賃金は月額13万9900円。
勤務条件は同様の職務を行なう非常勤嘱託員と同じで、雇用契約は年度を単位として4回まで更新が可能だ。
採用当初の仕事の内容は、庁内資料のコピー、庁内メールの仕分け、PC作業、シュレッダー、郵送作業など。
しかし半年後には、スケジュール管理や電子メールの送受信、電話応対、パワーポイント、インターネット検索、電話応対、実習生受け入れの際の仕事の説明や指導など、幅広い仕事を習得した。

下村 林田さんが仕事を始めた当初は、やはり手取り足取りで教えるような感じでしたか?

国分 そう思われがちですが、それほど手取り足取りではありませんでした。
選考の際に実技試験を行ない、私たちが想定している業務への適性がある方を選考していましたから、メールの仕分けやパソコンによるデータ入力などは“確実にできるだろう”と思っていました。

下村 担当職員の指導を離れて、ひとり立ちするまでのプロセスも順調に?

国分 はい。思った以上のスピードで手を離せました。その意味では、我々自身も過小評価していたのかなと思います。

下村 なるほど。逆に、一般職員が林田さんから何か学んだことはありますか?

国分 きちんと丁寧な挨拶をすることと、コツコツと仕事に向かう姿勢は、まさに我々のお手本になっています。
頑張っている職員がいれば、周囲も感化されていく部分がありますから。

 

用に伴うエネルギーは数週間でプラスに転じる

翌平成20年度、横浜市役所ではふたり目の知的障害者として、築城さんを採用。
林田さんは自分でマニュアルを作成し、築城さんへの業務の引き継ぎをスムーズにした。
築城さんが後輩として入ってきたことにより、林田さんはより難易度の高い業務を担当できるようになり、ふたりで他の部署のメール仕分け業務などをしに行く余裕もできたという。

下村 知的障害者を雇用して、その人を指導するために割くエネルギーと、その人に仕事を任せられるようになって得られるエネルギーとが逆転し、プラスに転じるまでにはどのくらいの時間がかかるものですか。
民間企業の雇用主からすれば、とても気になることだと思うのですが。

国分 林田に関しても、今年採用した築城に関しても、数週間のうちにはプラスになったと思います。
一般的にいうと、最初の大変な時期には、就労支援機関を上手に活用していただければ、企業の方の過度な負担にはならないと思います。

下村 横浜市役所のように体験実習や予行演習的な期間があれば、幅広い職種で雇用が可能になるでしょうね。

国分 はい。とくに事務に関しては、知的障害のある方のなかには適性のある方が多くいらっしゃる。まだまだ可能性はあると思っています。

 

 

10月には市役所全体で10名の雇用を予定

下村 とは言え、やはり受け入れる側にも“適性”があるのではありませんか?

国分 たしかに「障害福祉の部署だからできたんでしょう?」と言われることもあります。
しかし、林田や築城は別の部署に行って仕事をする時も、そこの職員たちときちんとコミュニケーションをとれます。
行った先の部署の職員からは、「知的障害のある人たちも、本当は私たちとあまり変わらないんだね」といった声が聞こえてくるほどです。
他の部署でも十分やっていけると思います。

下村 2年連続で、とてもいい形で知的障害者を受け入れられたと思います。
この経験をふまえて、次は何をしたいとお考えですか?

国分 まず、健康福祉局のなかで3人目の雇用を行ないます。
それと併せて、緊急経済対策の一環としてこの10月から6ヵ月間、10人の知的障害のある方を雇用していきます。
この10人については、健康福祉局以外の部署や区役所などに雇用先を広げていく予定です。
将来的には10人といわず、もっと多くの部署で受け入れていけるよう、人事の部局とも少しずつ話を進めています。

下村 身体障害者から知的障害者へと雇用の枠が拡がって、次なるステップとして、精神障害者の雇用についてはどんな取り組みをされていますか?

国分 今は健康福祉局で実習生の受け入れを始め、組織的な取り組みをしている最中です。
精神障害の方はさまざまな疾患の方がいらっしゃるので、雇用が難しいのはたしか。
しかし、受け入れのノウハウはどんどん高めていかなければなりません。

下村 林田さんの雇用に至るまでの歩みが、精神障害者雇用への一歩にもつながっているわけですね。
こうしたことが次々に実現していけば、本当に障害者雇用が“ATARIMAE”になっていくと思います。

国分 そうですね。道のりはまだまだ遠いでしょうが、いつかは実現していかなければならないと思っています。

●横浜市役所の知的障害者雇用 参考資料
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/fukushi-kaigo/fukushi/annai/shuro/sonota-syuro-koyo/chitekikoyo-report.html

 
下村健一の編集後記

「知的障害者を採用してから、職場の空気が明るくなった」という声は、とてもよく聞きます。
それは決して、無理にプラス面を探し出して強調しているわけではなく、
同僚たちの心からの本音であることが、今回の取材でも実感されました。
林田さんの言動は、文句なしに周囲の人たちを明るい気持ちにさせます。
「倒れんジャー」には大笑いさせられましたし、誠実を絵に描いたような、あの爽やかさ!

僕ら“健常者”だって本当は彼のように人と接したいのに、それができないのは、
「気恥ずかしい」というまさに《知的》営みが、《障害》となっているからでしょう。
そう考えると、林田さんと僕らとの違いは、「知的障害が有るか無いか」ではなく、
「どういう分野が苦手か」という相対的な差異にすぎない、と見えてきます。

今回の取材で一番印象的だった言葉は、林田さんと築城さんが異口同音におっしゃった、
「自分たちだけがこのように採用していただけて、申し訳ないような気持ちだ」
という述懐でした。
知的障害者の採用枠がまだまだ限定的な現状では、これはとても正直でATARIMAEな感覚でしょう。
採用された人達が、申し訳なさなんて感じなくてすむように、早く社会全体のなかで、
ATARIMAEの重心移動【図参照】を目指したいものです。

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