失明する前はサッカー部の顧問も務めた経験を持ち、大のサッカーファンである中学校教師の新井淑則さん。その学校へラモス瑠偉さんが訪れた。互いに挫折や困難に立ち向かいながら、子どもたちへ、サッカーへと愛情を注ぎ込む。その生き様を伝説としてきたふたりが、熱い魂のトークを繰り広げた!

働く障害者 インタビュー動画

二人のクロストーク

ラモス瑠偉さん(以下、ラモス):びっくりしましたよ、新井先生の授業を見て。教室に入った時にエネルギーを感じたし、先生の質問に、みんなちゃんと素直に手を挙げるし、先生の人柄ですねー。

新井淑則さん(以下、新井):いえいえ、ラモスさんが来たから(笑)。でも生徒は純真で、ホントかわいいんですよ。

ラモス:先生が黒板に僕の名前、いやー、キレイに書くなぁと。バランスもスゴいちゃんと取れてて。

新井: 書く位置を決めるために、磁石付きの定規をけい線代わりに使っています。生徒の机の裏には点字テープで名前を張り付けてあるし、生徒の声と名前を覚えるのに、名前と自己紹介をレコーダーに吹き込んでもらって、それを何回も聞いたり…。生徒の模範となる判読ができるよう練習も欠かせません。授業はチームティーチング方式で、私ともうひとり、補助の先生が付いて一緒に授業をしています。

ラモス:16年ぶりに普通学校に復帰したとは思えないほど、慣れているように見えましたけど、ギャップはなかったですか?

新井:自分でもあるかなーって思ってたけど、生徒はやっぱり変わらないや、と(笑)。教えることもそんなに変わりはないんです。でも、評価の仕方がとっても細かくなっていたり、対保護者の対応が変わっていたり、取り巻く環境は変わりました。けど、子どもたちはいつの時代も変わらないですね。ただやっぱり、目が見えている時と今とでは違うし、その意味でも、自分にできることがあるんじゃないかなーと。

ラモス:障害を負ったことで、教師として気付けたこと、大切にしていることってありますか?

新井:本当に、言葉を大切にするようになりましたね。表情を読み取れない分、言葉でのコミュニケーションを大切にしています。コミュニケーション能力は生徒にとっても必要だと思うし、その能力を付けさせたいと思っています。子どもたちには、生徒一人一人が違うように、互いの違いを認め合って、思いやりの心を育んでいけたら。それが私の役割かなと。

ラモス:なるほど。

新井: 違いや個性を認めること。たまたま私は目が見えないけど、みんなも違うだろう?って。尊重し合って助け合って、思いやりの心を育めるようにするのが、私のもうひとつの仕事かなぁと思いますね。やっぱり生徒といえども、同じひとりの人間ですから。信頼関係は大切にしたいですね。

ラモス:わぁー! サッカーも一緒です。みんな、選手は試合に出たいんです。でも、選手全員を喜ばせることはできない、どこかで納得してもらわないと。でも、納得できる選手、できない選手も出てくる。我々、監督やコーチがフェアでいけば、最後は必ず納得してくれる。そこには信頼関係がないと、何もできないですよね。

ラモス:先生が失明したのは、突然だと聞きましたけど。

新井:はい。中学校教師になって3年目の年でした。目の前で虫が飛ぶのが見えるんです。「なんだ? この虫」って言ったら、生徒が「虫なんて飛んでないよ」って。翌日にはもう暗幕が降りて。医者に行ったら、網膜剥離と診断されてすぐ手術。一端は元に戻るのですが、またぶり返す。その繰り返しで10数回手術しました。結局、両目とも失明して、3年間、休職することに…。

ラモス:その3年間、ツラかったんじゃないですか? いろんなこと、考えたんじゃないですか?

新井:あの…、見えないまま一生を送るんなら、生きていても仕方ないかなーと。死んだほうがいいなぁと。

ラモス:そこまで!

新井:発症する直前、教師という仕事は自分の天職だ、こういう生活を私は一生ずっとしていくんだと思っていたんです。サッカー部の顧問をして、子どもたちと一緒にグランドを走り回っている毎日で、この子たちといつまでも走っていたいと。そう思っていた矢先でした。当時、結婚していて長女が生まれた年で、初めて3年生の担任もして…。もうホント、絶頂期でしたから。半年間は毎日泣いて、死にたいと、家に引きこもってましたね。

ラモス:先生! 良かったよぉ、ホントに。そっちの方向へいかなくてさ。

新井:うちは7人家族で、その中で目が見えないのは私ひとりです。家族がどんな言葉をかけてくれても、見えない俺の気持ちなんてわかるわけないと。当時は受け入れられなかったですね。家族の気持ちは痛いほどわかっていても、それでも自分には時間が必要でした。

ラモス:うん、うん。

新井:でも、視覚障害でまったく見えなくても教壇に立っている、ある高校の先生から「新井さんもできるよ」って言われて。あのツラい半年間があったからこそ、その後どんなにツラくてもがんばれたんだと思いますね。ラモスさんも81年にバイク事故で、一度はサッカーに復帰するのは無理だと言われたんでしょう?

ラモス:ええ。医者から「もう二度とサッカーはできない」って言われて、ただただ不安でしたね。「このままブラジルに帰ったらどうしよう、お母さんのためにニッポン来たのに…」って。まだお母さんに家も建ててなかったしね。それで別の医者に診てもらって「手術したらまたサッカーできるよ」って。その瞬間、やってやるぞ!と。入院が長かったけど、奥さんが片道2時間かけて毎日食事持ってきてくれて。スッバラシイ人です。復帰には自分の気持ち、弱気にならない気持ちが大切だったけど、ひとりで耐えられたかな?って思いますよ。彼女いたおかげで乗り越えられたのは間違いないですね。

新井:私も中学校に戻りたいって言い続けて10年なんです。私ひとりだったら、せいぜい2、3年しか気持ちを保てなかったでしょうね。家族や支援してくれた人たちがいたから、よく、もまぁ、10年も言い続けてこられたんだなぁ、教壇に立てたんだなって。あきらめずに励ましてくれていた人たちに、本当に感謝です。

ラモス:ホント、そうですね。今も先生や僕のように、病気やケガでツラい思いをしている人、その人を励ましている家族っていっぱいいるでしょ? 厳しい言葉も優しい言葉も、お互いにツラかったり、家族がいくら言っても受け入れないし、本人としては「自分の気持ちになってみな!」と思うのも普通だと思うんです。でも家族は、あきらめちゃダメです。ボク、偉そうなことは言えないけれど、障害者と海で一緒にサッカーやってるんですよ。人間素晴らしいなと。あきらめないこと、努力することね。ガマン、笑顔、愛情あれば、乗り越えられると思います。

新井:95年まで目が見えていたから、ラモスさんの活躍も、あの「ドーハの悲劇」も見ているんですよ。Jリーグを実力でも人気でも引っ張っていて、子どもたちの憧れ、目標でしたよねぇ。ラモスさんにとって、サッカーとは何ですか?

ラモス:すべて、ですね。生きがいっていうか、呼吸と一緒。サッカーのない世界、考えられないですよ、僕には。引退した時に日本のサッカー界を離れてみたいと思ったこともあったけど、でもやっぱり、サッカーしかないねって。現場戻りたい、監督やりたいって、そこから勉強始めたんですよ。真っ白な灰になるまで、動けなくなるまでサッカーやりたいなと。年齢、関係なくね。新井先生にとって教師ってなんですか?

新井:やはり、ラモスさんと同じく、生きがいですね。目が見えていた時も天職だと思っていたから。中途失明者って、ただでさえ職業の選択肢が狭いでしょ? 障害を負って働くのはどんな職業でも、どんな人でも大変。どうせ同じ苦労するなら、自分の好きな職業で、天職だと思える教師で苦労したいと思ったんです。復帰して大変なこともあるけど、やっぱり楽しくてしょうがないですよ、子どもたちと接することがね。ところでラモスさん、選手時代と監督とは違いますか? プレッシャーってスゴいですか?

ラモス:監督はツライですねー(笑)。指導者の立場って、世界で一番難しいじゃないかと。でも、難しいからこそ、やりがいもある。自分が描いたこと、選手たちが自分のサッカーできた時、一番嬉しいですね。選手が喜んでいる顔を見るのが、僕にとっての感動ですよ。プレッシャーって僕の場合、自分のクビが飛んじゃうとか、マスコミにどう書かれるとか、そういうんじゃないんです。やっぱ、サポーターとか選手とか、その期待がね。試合に負けてもね、応援してくれる人がいる、付いてきてくれる選手がいる。その人たちを裏切るのがヤダなって。そのプレッシャーが半端じゃないですね。先生も、プレッシャーありますか?

新井:そうですね。こんなにマスコミに注目されると思っていなかったから(笑)。自分の子どもは3人いますし、妻も同業者というか、別の中学校の音楽の先生なんです。私がコケたら、家族が何言われるかわからないし、支援してくれている人にも申し訳ないってプレッシャーありますね。けど、それを気にしていたら萎縮してしまうんで、とにかく、わかりやすい授業をやればうまくいくかなと思って、今はまだ夢中でやっています。

ラモス:先生の将来の夢って何ですか?

新井:しっかり力を付けたうえで、いずれは学級担任になるのが夢です。もちろん、努力も必要だし、難しい課題も出てくるでしょうが。

ラモス:いやー、先生ならできるよ! ボク今日、逆に勇気もらったね。来年か再来年に現場復帰、監督したいなぁって、先生と会って思いましたよ。もう1回、地獄を味わいたいなって(笑)。

新井:期待しています。これからも応援させてください。

ラモス:先生に勇気、パワーもらいましたよ、ホントにホント。先生ががんばることで、生徒にも世の中にも元気を、勇気を与えているんじゃないかと思います。生徒の顔、みんないい顔してるもん。いろんな人に支えられているとは言うけど、先生本人の努力が半端じゃないでしょ。僕の夢は、いつか日本代表の監督になることですが、いつの日か、最初の試合のベンチに先生を招待しますよ。必ず、必ず、です。

新井:わぁ、素晴らしい! 楽しみにしています。

■幼い頃の夢は?
 新井さん 野球選手
 ラモスさん サッカー選手

■リスペクトしてる人は?
 新井さん 故・大里暁子さん。最期まで教壇に立とうとした障害のある小学校教師です
 ラモスさん 奥さんと北野武さん

■好きな言葉は?
 新井さん 「我思うゆえに我あり」
 ラモスさん 「愛」

■趣味は?
 新井さん 録音図書の読書
 ラモスさん カラオケ

■初めての給料、どう使った?
 新井さん 17万円の中古車を購入して通勤に使いました
 ラモスさん 給料16万円のうち13万円をブラジルのお母さんに送りました

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